1997.10  ESSAY
研修講演のためのテキスト あなたの机の上に一枚の紙があったとしよう

あなたの机の上に一枚の紙があったとしよう
講演のためのテキスト
文/杉崎真之助

あなたの机の上に一枚の紙があるとしよう。
あなたはそれを眺めている。プリントアウトされたあなたの文章が打ってある。

今、それがネットワークに接続されたとしよう。
あなた以外の個人も、机の前であなたの文書を眺めることができる公開された紙になる。

これがインターネット、wwwの本質でないでしょうか。

テレックスや電報は文字しか送れません。しかし人々はその環境で使いこなしています。
文字しか扱えない。あるいは音、文字、画像、動画を情報の要素として扱えるが、デザインとかレイアウトができない。そのほうがインターネットの環境を理解する上ではいいのかもしれません。

放送や出版は情報の送り手が不特定の人々に「発信」するわけですが、webにおいてはあくまで送り手が情報を「公開」するという概念が基本だと思います。
他人が覗かないかぎり、つまりアクセスしないかぎりインターネットのページは単なる机の上の紙とかわりません。逆に望まなくてもアドレスを知った他人にその紙は読まれてしまうわけです。

インターネットは単に紙のように印刷物がネットワークに接続されたというイメージでは捉えられません。
ネットワークに接続された雑誌、手紙や報告書です。それだけではなく、ゲームセンターであったり、仮面舞踏会であったりするのですから。しかし、どいなものでも観るのは一台のブラウン管または液晶画面です。劇場のエントランスも新聞紙のぱさぱさした紙もそこにはないのです。
このことがインターネットに関する議論をあいまいにするのです。
ある人は書体の話をし、隣の人は倫理について語り、別の人は通信速度と圧縮技術について語っています。全く議論はかみ合いません。

私にとっていweb上のデザインは、目になじんだ既存のメディアの引用であるwebデザインであっても、あるいは全く新しい驚く様なwebデザインであってもいいのです。それは見る人の感覚と経験と興味が評価するわけですから。
インターネット上のデザインを語るとき、もう一度「公開された紙」について考えてみましょう。公開された「魔法の」紙について。