1998.08  ESSAY
TypographicsT 1998年203号 上方フォント特集 パーソナルフォント

パーソナルフォント
TypographicsT 1998年203号
文/杉崎真之助

たとえば、街を歩いている女の子のファッション、髪型、メイクが変わった。何か根本的に新しい動きが街中にあふれている。新しいグラフィックの潮流はクラブに代表されるストリート文化の中で渦巻いている。ここ20年あまりゆったりと動いていたデザインの世界が急激に変化していく。背景としてデジタル環境の急激な進化、英語圏を中心としたデザインのニューウエーブが10年ほど前からあったわけだが、日本はこんなところから変わっていくのだといえよう。
60-70年代の変化と比較したとき、街から生まれる力、既存の価値に対するある種の抵抗。ディテールは違うが共通項も多い。だからこれは本物の力なのだろう。表面的にみるとお手軽なブームとしてみることもできる。しかし、カラオケ、アーケードゲーム、バラエティ番組を例に出さなくても、そういった部分が現在の日本のトーンなのだから大目に見てみよう。哲学をもった骨のある形での提案があまりないのはさみしい気もするが。
ところで最近、デジタローグの江並さんからの依頼で20代を中心とした大阪の若手デザイナーを30人ぐらい集めてデジタルタイプのCD-ROMをまとめた。書体のカタチ、様式ではなく、フォントでなにをメッセージするかが一番重要と考える。フォントそれ自体が表現メディアというとらえ方。大変面白かった。このパワーの1000倍のチカラが日本中にあふれているのだなと思う。変なこだわりを持っていないプレーンな視点が好きだ。版下経験者は2人だけ。おおらかにコンピュータを駆使する。この辺が違いの境目だ。
これから活字はどうなるのか。100年の歴史を背負って、これからも未来を背負っていく書体群。そして、一方で今年1年流通するフォント。書体の世界がデジタルネットワークの時代背景をもって飛躍的に拡大していく。では書体デザインはどうか。アウトラインと塗りだけの手法から、ぼかす、溶かす、変形させる、壊す、合体させるといった絵画ではずっと以前から当たり前のことを、フォントの制作プロセスに用いて悪いはずはない。
ワードプロセッシングが一般化した今、パーソナルフォントをみんなが持ったりしてもいいわけだ。 もちろん、歴史の中で磨かれた精度の高い明朝、ゴシックは今後も紙媒体と高レゾリューションのモニター上で歴史を積む。そして今後、明朝からゴシックヘと無段階に変化するマルチプルフォント、あるいはパブリックドメインの骨格をもとにユーザーが自由にエレメントを付け加えるといった制作環境も出てくるだろう。
フォントユーザーの視点を専門家の外に向けるとどうなのか。個性的な筆跡のように自分だけのフォントをつくったり、便せんを選ぶように女の子が自分用のフォントを選んで買ってもいいと思う。実際、オリジナルフォントのフロッピーを女子高生が買っている姿は、もはや普通の風景だ。
さて、われわれプロ中のプロは「上方フォント」で、どう答えを出すのだろうか。