1999.03  ARTICLE
MdN1999年3月号インタビュー ポスターをデザインするということ

ポスターをデザインするということ
MdN1999年3月号 記事

まずはじめにMacintoshとの関わりについて教えてください。

はじめはコンピュータをデザインに使おうとは思いませんでしたね。ただ、ハイパーカードとかで文字や絵が動いているのを見て「いずれはこういったものもグラフィックデザインの範疇になるんだろうな」とは思ってましたけど。最初に導入したのはMacintoshIIでした。興味をもった理由は、やはりスピードです。いまの仕事のやり方では間に合わないな、と思っていましたから。それと、本来デザインというものは紙に定着してはじめて実在するようになるものです。「黄色い四角形」というものはロットリングなりを使って描き、色指定したものを印刷してはじめて実在するようになる。しかし、コンピュータを使うと、「黄色い四角を描け」と命令すれば、それがコンピュータの中につくり上げられる。つまり、紙に定着しなくてもデザインそれ自体がデジタルデータとして実在するようになるわけです。それが面白いし、そうやってコンピュータを操っていくうちに、グラフィックデザインの本質に気がついた、みたいなところがあるような気がします。  
ただ、デザインを画面で見るということは、サイズを無関係に見るということです。逆に印刷物は物理的なものだから、サイズがある。それに人間は左右ふたつの目でものを見るから、ものと自分との間の距離感があります。雑誌を見るならば、雑誌と自分の間の距離感が、ポスターならば、ポスターとの距離感や貼られている空間がある、という具合です。A4のものでもB全のものでも、デザインの本質は同じだけれども、それぞれ見る人との距離感が違うわけです。だから、ポスターをつくるときは、色校を出す前に、A3のモノクロプリンタなどで分割して出力し、つなぎ合わせて確認したりしますね。やはり、最終的な紙への定着をシミュレートしないとダメです。

つまり、あくまでも紙をターゲットに考えているということですか?

紙だけにこだわっているわけではないですけどね。ただ、僕はグラフィックデザイナーであって、CGアーティストじゃない。CGアーティストはデータそのものが作品だけれども、僕にとっては紙に定着させることが面白い。だからこそ、紙に定着させる部分にこだわっているし、ピクセル主義とか原寸主義みたいなことを考えてきた、というのはあります。僕はもともと印刷フェチというか、紙フェチみたいなところがあるんです。紙の上に線を描いたり、写植を切り貼りしてみたりして、それが色校正でどうなるのか、みたいなところに興味がある。これは僕にとって抑えきれない興味なんです。
 もちろん、デザインやコミュニケーションという視点で考えるなら、紙だけが重要だとは意識していないというか、そんなふうに考えたくはない。視覚情報が紙を超えて、ネットワークを通じて流通する時代というのはすごいと思うし、つくる段階においても、やっぱりデジタルはすごい。僕はたまたま紙を相手にしてきたけれども、物質性を超えてデザインが流通するところに今後のデジタルの面白さがあるわけだし、それによってグラフィックデザインが生き返る、みたいなところがあるとは思います。いまの世の中には情報デザインとか、ウェブデザインといういい方もあるんだけれども、本質はグラフィックデザインなんです。狭義にグラフィックデザインを捉えるなら、それは紙を相手にしたものだけど、広義に捉えるならばビジュアルコミュニケーションすべてがグラフィックデザインの仕事、といえるんじゃないですか。

そこで、杉崎さんのデザインの特徴をあげるとしたらなんでしょう。

僕のデザインは、画像の仕事、写真をもとにしたもの、それと文字を使ったもの。これが3つのパターンでしょうね。それに、わりと実験的な試みもやっています。例えば、モリサワの広告では、漢字とひらがなとカタカナを重ね合わせてみました。本来、漢字というものは、文字そのものに意味があるものだけれども、重ね合わせていくことで文字の形自身が立ち上がってくるということに気がついたんです。これを僕は「文字の織物」とか「文字の編み物」と呼んでいます。  それと、僕のこだわりのひとつに「ピクセル」があります。グラフィックデザインの世界では「ハイレゾリューション」というものが基本になっているわけだけれども、逆に「ローレゾリューション」というものも面白いと思うんですよ。画素ひとつひとつの集まりも、ディテールとして綺麗なのではないかという考えがあって、ピクセルの大きさにもこだわるわけです。だから、ピクセルをどれくらいの大きさにしたら全体として綺麗かを考えて作品をつくったりします。印刷して紙に定着させたときに、紙のディテールとピクセルがどう融合するのかみたいな、自分の中でハイレゾリューションに対するアンチテーゼのようなものもあります。
 ただこれに関しては、リアルタイムに画像の変化を見たい、というのもあったんですけどね。3〜4年前まではQuadraを使っていたんだけれども、その時はA4くらいの画像を72とか100 dpiくらいでいじると、いちばんストレスなく扱えたんです。その画像をニアレストネイバーで高解像度にすると、ピクセルのエッジもたって、きれいになる。それと、拡大率を整数倍にすると、ピクセルの大きさが均一に揃う、ということも当時発見して面白いと思いました。そういった経験の中から、自分の特徴のひとつに「ピクセル」というものがあるな、と考えるようになりました。それが「PIXELSCAPE」という展覧会になったわけです。PIXELSCAPEでは、そういった自分の考えをポスターという形で展示してみたんです。

ポスターというメディアが他と違うのはどういうところでしょう。

当たり前のことだけど、フライヤーをただ大きく伸ばしてもポスターとしては成立しません。それは、ポスターというものが、パッと見た瞬間にメッセージをどれだけ伝えられるかが重要なメディアだからです。つまり、人の目を惹きつける強さが必要なわけです。ひとつひとつの要素は良くできているけれども、ポスターとしてはダメという場合、まずここのところがちゃんとできていない場合が多い。例えば、フライヤーというメディアは実際に手にとって、じっくりと読んでもらえるという強みがあります。しかも、もともとその情報に興味をもつ人が手に取るメディアだから、分かる人にさえ分かればいい、というつくり方ができる。それに対して、ポスターは不特定多数の人に分かってもらう必要があるから、つくり手にも「見ていただく」という姿勢が必要となるわけです。そういう価値観の違いも重要でしょうね。
 それと、見る側のことを想像できていないと絶対にダメです。発想は主観的に行うのだけれども、客観的に「これがどう見えているのだろう」ということがちゃんと分からないと。それは、どういう環境で、誰が、どう見ているのか、その時の距離感がどうなるのか、ということです。まずそれが基本でしょうね。それとこれはポスターに限ったことではないけれども、ものをつくる前に、アイデアをまとめることです。Macintoshに向かう前に、アイデアスケッチを描くことが大切です。すぐにマウスに触りたくなるのは分かるけれども、グッとガマンしてスケッチを描く。その時に、大きく描いちゃダメなんです。大きく描くとディテールにこだわってしまうから、そうならないように小さく描く。「サムネール」という言葉の通り、小さなスケッチで全体を見渡せるようにすることです。
 それと、せっかくコンピュータがあるんだから、試作をつくりまくらないと。僕自身も、Illustratorを使っていろんなものを試作していき、その中から面白いものを再発見していって、徐々に形をつくり上げていくということをやります。デジタルデータにはサイズがないわけだから、あとから大きく使うこともできますし。  
ただ、制作はデジタルで行っても、最後には紙に定着するという工程がある。そういう意味で、グラフィックデザイナーにとって製版の現場との関係は重要だと思います。僕の場合は、最後まで何もかもコントロールするのではなく、印刷/製版会社にデータを渡すときに、自分が何をしたいのかを伝えることが大切なんです。何もかもコントロールしようとすると力の入れ方が分散してしまって良くない。僕はデザインに集中したいわけです。だから、最高のものをつくろうと思ったら、製版に特化したような小回りの利く会社と協力して仕事をするようにしています。もちろんそれとは別に、効率を追求した仕事もあっていいと思う。効率よく分解して、CMYKでふつうに印刷する、みたいなね。ただ、若い人には、ハイエンドなというか、品質を突き詰めた仕事を経験しておいて欲しいな、とは思いますね。

文字という要素も重要ですね。

そうです。グラフィックデザイナーは、タイポグラフィーも含めた文字についてよく知っているべきだと思います。画像と文字がセットになってビジュアルコミュニケーションがあるわけだけれども、いちばん難しいのが文字なんです。ヨーロッパは、デザイン教育の中でタイポグラフィーというものがしっかりできていて、組版のルールもきちんと決まっています。例えば、四角という図形とタイトル文字というエレメントを配置した場合、「なぜそこに配置するのか、なぜその大きさなのか」、といったコンセプトや関係性なども突き詰めた勉強をさせられる。それと、いままでヨーロッパでは、文字を組むのはタイポグラファーの仕事であって、デザイナーの仕事ではなかった。だからこそ、デジタルでデザイナーが自由にタイポグラフィーを扱えるようになったとき、それまでへの反発から、自分たちで自由にタイポグラフィーをつくるということをやった。
 日本の場合は、もともとデザイナーが写植の切り貼りをしたし、書き文字の文化があった。だから、タイポグラフィーに興味をもつデザイナーが、簡単にデジタルに動かなかったんです。なにしろ、それ以前にも同じことがでましたからね。コンピュータを使わなくても、手先が器用だから、自分たちで文字をつくることができたんです。それと、いい悪いは別にして組版のルールがあいまいですね。デジタルの時代になってもそれは変わっていないし、そのせいか、文字の重要性というものがデジタルの世界にスッと入ってこなかった。だから、タイポグラフィーのノウハウをもっている人が、デジタルの世界に入ってこなかったんでしょう。

若いデザイナーの間では、仕事の対象としてポスターがあまり重視されていないという話もありますね。

僕はあまりそういう見方をしていないのだけれども、もしそうだとしたら、それは彼らとポスターとの距離が遠いからでしょうね。ポスターをつくるにはお金がかかるし、なによりも貼る場所がない。年鑑に応募して掲載されたとしても、それよりかはもっとリアリティのある、自分たちの生活空間の中で展開できたほうが楽しいはずだから。それができないのであれば、ポスターから離れていってもやむをえないことでしょう。
 ただ最近は、大型インクジェットプリンタのような機械もあるし、ポスターを簡単につくれる環境にあるともいえます。そんで、自分で好きなポスターを勝手につくっちゃう。貼る場所だって、ゲリラでもいいし、どこかの壁に許可をとって貼ってもいい。都市景観の問題はさておくとしても、それくらいのことをやっても面白いんじゃないですかね。もっと言ってしまえば、出力したものをそのまま商品として売ったり、プリントアウトをもって帰るのが面倒なら、データのまま売ってしまったっていい。  
といっても、そこで知っておいて欲しいのは、グラフィックデザインという仕事は、いろいろな制約があるから面白いともいえるということ。予算とか、クライアントの要望とか、掲示場所とかね。なにか伝えなければならないものがあり、それを与えられた条件下で伝えていくのがグラフィックデザイナーの力であり仕事でもある。だから、プリントアウトすれば簡単にポスターがつくれてしまうとか、制約が面倒だからフライヤーをつくっていればいいや、というのは、本来なら通過しなければならないものを通過せずに終わってしまう危険性があるかもしれませんね。
 若い人にはぜひとも、ヨーロッパなんかのポスターをいっぱい見ておいて欲しい。彼らはタイポグラフィーとはまた別のアプローチとして、絵を使って一瞬で物事を伝えるということもやってきた。ああいう視覚言語系のポスターというのは、もう一度勉強しなおさなきゃいけないな、と僕自身も思います。それと、日本の戦前、戦後にかけての先輩達の膨大な蓄積というものも一度勉強しておいて欲しい。その時代のものがいいものだとは言わないけれども、そこにはいっぱいヒントがある。いろいろなものがあるということを知って、それを広い視点で見渡していけば、そこから好きなものを選び出せるわけだから。

最後に、杉崎氏の今後の方向性について聞かせてください。



僕にとっては、去年までがひとつの大きな流れだったと思っています。今年からまた次のことをやっていくんですけども。デザインというのは、ある種メッセージを伝えるという、コミュニケーションですよね。一回それを取り除いてしまって、グラフィックデザインの骨の部分を考えてみているんです。グラフィックデザインというと、コミュニケーションしなければならないとか、コンセプトに則っていなければならないとか、作品のための作品をつくってはならない、とかいうけれども、それ以前の「骨の部分」です。
 それと、僕は一時、自分自身を「電子活字職人」と位置づけてみたことがあるんですよ。昔の印刷物なんかを見てみると、職人が活字で絵をつくったりしていた。それはそれでひとつの技術として抜き出してみるのもいいかな、というのもあります。
 ジャンルにもこだわりたくないし、メディアにもこだわりたくない。ウェブもやっていきたいし、広告もやっていきたい。もうひとつ、公共デザインもやってみたい。空港のインフォメーション・デザインだって、道路の交通標識だって、良くできているとは思わない。そういうところだって、グラフィックデザインの仕事だと思います。
 今後自分の仕事をなんと呼ぼうか考えたりします。グラフィックデザインと言ってしまうと限定された雰囲気があるし。コミュニケーションデザインとか情報デザインといってもいいんだけど、それよりかは「グラフィックデザイン」という言葉の意味そのものを広げていきたいですね。