2000.09  ESSAY
新生代平面設計家 杉崎真之助的世界 序文

新生代平面設計家 杉崎真之助的世界
廣西美術出版社

序文

グラフィックデザインはコミュニケーションのためのデザインである。文字や絵、図といった視覚情報そのものがデザインの要素である。建築やプロダクトデザインは鉄やガラス、あるいはプラスチックといった物質を通して表現されていく。しかしグラフィックデザインにおいては、紙はデザインの要素を載せる媒体であって、紙そのものはデザインの直接的な要素ではない。もちろん手触りも大事な要素ではあるが、元を正せばそれは粘土でも石でも竹でもよかった。情報の乗り物として仕方なく紙などの物質を利用しなければならなかったと言えよう。 かつてデザインの現場において、5センチ四方の正方形を正確に書くためには職人的な技術が必要であった。0.1ミリのラインを正確に書ける技術をデザイナーは競ったものである。また文字はデザイナーが直接打ち込むものではなく、専門家に仕上がりを指定して依頼するものであった。つまり組版の現場は、デザイナーの側にはなかったのだ。 手作業で紙を切ったり線を引いたりという物理的な制約のもとで、ある時期から私は発想のスピードに作業のスピードがついていかないことに、もどかしさを感じていた。そしてMacintoshの画面を初めて見たとき、私はコンピュータがそれを開放してくれると直感したのである。 コンピュータによるデザイン環境は、グラフィックデザインを物質性から自立させ、視覚的エレメントそのものをデジタルデータとして直接操作する本来の方法を可能にした。 デジタルデータにおいては正方形のエッジはどこまで拡大しても同じであり、コピー、拡大、縮小という行為のなかでいささかの劣化もない。デザインの要素がそのままデジタルデータとなるからだ。今まで紙にインクで固定されていたデザインの情報そのものが、ハードドライブのデータとして存在するということは、それらが自由に流通、再生、変化していけるということである。何千年も物質に頼っていた視覚情報伝達術の革命的変化。デジタルデザインの本質はそこにある。

制作過程

(I)

グラフィックデザインの中でもっとも重要な要素が文字であろう。鉛による活字の時代、印画紙による写植の時代、そしてデジタル活字の時代になり、革新的に表現の幅が広がった。コピーアンドペースト、変形、拡大、繰返しなどの表現がリアルタイムでいともたやすく生成されてしまう環境が急に出現したのだ。 文字は書体の形、大きさとともに組まれた時の字間、行間によって大きく表情が変わる。今までの組版の方法には技術的な制約の上に成り立った方法論がベースにあった。それがなくなり、文字に自由な実験の場が与えられたのである。 漢字は表意文字である。ひとつひとつの文字の中に歴史が込められている。その漢字を重ねてみる。すると歴史を背負った漢字の形態のみが立ち現れてくる。既成概念が覆り、未知の文字と出会ったような驚きを感じる。これは楽しい。 「あいうえお」という平仮名の字間を狭めていく、重ねていく。すると音の集合体、表音文字が音の情報から離れて造形のテクスチャーが現れてくる。これも面白い。 コンピュータは私とともにリアルタイムに文字を生成していく。研究、試作、シミュレーションすべてが無限であり、自由である。

写真説明
デジタル書体カタログのために文字組を大量に試作した中の一部 文字を重ねると意味が隠れて形態そのものが見えてくる。「原形」 切貼りによる試作 画面上だけでなくプリントアウトをコラージュしたりして可能性を探った。 指定原稿 モニター上のデータで完結するのではなく印刷技術者との共同作業によって表現の可能性が広がる。

(II)

写真説明
スケッチでコンセプトを固める。言葉でも考える。 アイデアを発想するときは、イメージだけでなく、言葉、文字、意味の側からもアプローチする事を重視している 浮かんだアイデアはアイデアファイルに作りためていく。この中から再発見を行い、新しい作品になっていく。 アイデアがたまったら本の形態にまとめる。紙は古くなるから発想の時代がわかる。紙や本という形式は視覚情報へのランダムアクセス性で捨てがたいものがある。 とにかくバリエーションを無数に作る。ただしコンセプトから逸脱しないように。バリエーションの中から別のアイデアがうまれる。

(III)

デジタル上では画像は細かなピクセル(画素)に分解され、そのひとつひとつが数字のデータとして記述される。感光材や絵の具によってではなく、0か1のビットとして存在する。デジタル技術によって、画像もまた文字と同様に物質の呪縛から解き放たれて自由である。 ピクセルをどんどん拡大していくと、それは四角いユニットの集まりである。印刷のスクリーン(網点)が美しいように、このピクセルのテクスチャーも美しいと私は考える。高解像度を競うのではなく、低解像度の画像とそれを定着する紙の質感を楽しんでみるのだ。 以前からポジフィルムを重ね合わせる手法に興味があった。とくに花と花あるいは顔と顔というように同じモチーフを左右上下シンメトリーに重ねて見ると、元の形態の奥にあるもう一つの形態が立ち現れてくるようで大変楽しい。人体を左右にシンメトリーに分解する。今度は部分を再度上下に展開して構成してみる。するとシンメトリーな像のなかに生命の形態の原形のようなフォルムが現れてくる。そんなことを繰り返しているうちに Invisible Shape という作品群になっていった。

写真説明
Invisible Shapeポスター 一枚のポジフィルムがデジタルデータに変換され、そこから新しいイメージが生成される。しかしエフェクトに頼らないで、あくまで素材を生かす。構造を作ることと紙にいかに定着させるかが重要。 喜多俊之展ポスターのための試作 完成されたイスとそのアイデアスケッチを和紙の上で重ねる Invisible Shape ポスターと同様の手法で制作したポスターのための初期試作。実はこういう単純な試作から始めることも多い。

(IV)

日常のデザインの仕事は、条件枠組をしっかり設定したうえで具体的な表現に移るのだが、そういった方法論からまったく離れて、コンピュータ上で自由にイメージを膨らませていくこともデザインの醍醐味である。こういった意味性、論理から離れた行為のなかに、新しい表現の糸口が沢山ある。仕事に反映することをあまり意識せず、しかし深入りしない程度に楽しむことを意識している。Illustratorのブレンド機能とグラデーションを組み合わせた遊びのなかからPixelscape展のポスターが生まれていった。 デジタルデータとしての作品は画面上では72dpiの画像である。拡大しても、縮小しても現実の空間との関係性は生じない。それがモニターというインターフェースの限界であろう。それに対してプリントされた作品はそれ自体、現実のサイズを持つ。空間に対してある大きさをもって存在する。そこがデジタルデータを印刷という手法で紙の上に再現することの面白さであり、難しさである。しかしハードディスクにデータとして存在する画像や文字を紙の上にインクによって展開する過程が、私にとってデザインを皮膚感覚として実感する大切な体験なのだ。

写真説明
作品の部分拡大。単に高解像度を競うのではなくはなくて「ピクセル」もひとつの美しいテクスチャーだと考える。 レインボーイメージの素は単純な構造の線画データ。グラデーションの設定を変えることでいろいろな表情が生まれる。それを画像データに変換。 展覧会告知のためのポスター Pixelscape 展 ポスター ブレンド処理とグラデーション処理をした線画データをやや低解像度の画像データに変換。このピクセルの美しさをいかに製版データに変換、インクで紙に定着させるか。実はここからの道のりが結構長い。 最終目的が紙の場合、原寸大での確認を重要であると考える。 データとしてはコンピュータの中で完結するが製版、印刷スタッフとのコラボレーションが重要。 製版のスタッフへのコミュニケーションのための指定紙。紙媒体におけるノウハウの蓄積は今後も生かされる。 ピクセルの大きさを原寸でプリントアウトで何度も比較検討。 画像と平行して文字要素を作成する。二つの要素がどのように定着されるのか、色校正を待つのが楽しみである。