2003.09  ESSAY
TypographicsT 2003年232号 リレーエッセイ 阪神 地下鉄 携帯

阪神 地下鉄 携帯
TypographicsT 2003年232号
文/杉崎真之助

■やっぱり阪神の話題かいな

この原稿の締切もとっくに過ぎてしまって遊んでる場合ではないのだけれど、8月最後の日曜日ということでミナミに出かける。大阪の道頓堀。巨大看板のグリコの青年は、いつの間にか阪神のユニホームに着がえていた。今日でマジック11。そしてこの誌面が印刷されている頃には、阪神タイガースの18年ぶりの優勝が決まってる、き っと。



混乱混沌無秩序でごちゃごちゃの街といわれる大阪。しかしその大阪に住む人は、全員が東西南北という方向感覚を体内に持っている。もし大阪で道で誰かに「北はどっちですか」と尋ねたら、みんなちゃんと答えることができる。逆に不案内な場所に行って北がどっちかわからなくなると、大阪の人は道に迷ったような感じになって、途端に不安になるのだ。

なぜかというと大阪は御堂筋や堺筋といった縦の軸と中央通、千日前通などの横の軸がお互いに交差して成り立っている、いわばGRID構造の街。だから方位感覚は常にオン。ところが東京ってそうではない。方位感覚が役に立たない。道がぐるぐる曲がりくねっている。そう考えれば大阪のGRIDに対して東京はWEBの街か。しかしWEBというメタファーで呼ばれるインターネットには中心という概念がないから、皇居という中心をもつ分、東京はもっとWEB=クモの巣に近い構造といえるかもしれないな。



■地下鉄

さて、さらに混沌が進化した街といえば香港。強大なビルの間の無数の看板と八角の匂いを楽しみながら、ほこりっぽい街を歩く。ところが一旦地下に潜ると世界が一変する。香港の地下鉄MTR。そこにはサインシステムがすべて整理管理統制された整然としたもう一つの世界が広がる。切符の販売機のインターフェースデザインもしっかりしている。広告の掲示も整理整頓されている。手書きの張り紙なんてどこにもない。5年前に新しくできた国際空港も同じ、無駄な表示が一切ない。しかし帰ってきた関西空港はどうだ。サインシステムのいらない空港。つまりアフォーダンスがしっかり建築として設計されているとの触れ込みだったけど、いまや無数の標示物で悲惨な状態。



東京に戻って汐留。香港の風景を連想させる巨大で高層なビル群。先週、地下鉄で汐留から銀座を経て六本木ヒルズまで移動した。東京の路線は複雑なので、地下鉄による移動はグリッドの街に住む大阪人にはいつもスリリングな体験になってしまう。香港のMRTとは対照的な地下鉄風景。混沌複雑雑多な空間の中で目的地に行くために公共サイン、張り紙、ポスター、看板、あらゆるノイズのなかから、手がかりになる情報を探求していく。テレビゲーム感覚。日比谷線六本木駅から六本木ヒルズへの出口を見つける手がかりになったもの。それは公共サインシステムなんかではなかった。あちこちに貼られた、手書きの素朴な張り紙。一瞬子供の頃の夏、田舎の道を歩いていて「氷あります」って看板を見つけた時の感覚がよみがえる、そんな感じ。公共デ ザインの負け。




日本の公共空間。行き先案内、お店の広告、指名手配のポスター、お詫び、おせっかい、無数の情報、カオス混沌カオス。不要な情報の洪水。確かに公共サインから抜け落ちた情報もあるだろう。今だけ必要な情報もあるに違いない。でもここでサインシステムの不備と話を終わってしまったのでは、つまらない。あえてT誌の読者の期待に答えて否定的に書くのはやめておく。都市の美観やサインシステムの不備を問題にはしない。

■ケータイ方向探知システムサービス

混乱のノイズ都市においては、もっと過激に考えてみよう。知的で合理的なデザインシステムは、整理整頓された都市構造や空間、移動システムという前提によって、初めて成立しうるものだと思う。過密で超複雑な都市の地下鉄なんかは、そういった優雅なデザインが機能するレベルをとっくに越えてしまっている。もうこうなった以上、都市をまったく新しく設計し直せないとしたら、統一や統合されたデザインという発想ではなくて、それこそ差異個別分裂の混沌の無差別サイン計画といった視点はどうかな、と考えてみる。もちろんこれは適応するためのプラクティカルなデザインではなく、未来のための研究として。突き放した思考の中から新しい発想が生まれてくるかもしれない。グッドデザインさようなら。

来年、携帯電話で方向探知システムサービスが始まる。ウソです。でも、みんなケータイを見ながら地下鉄の駅で目的地の出口番号に歩いていくといった風景は、それほど遠くない将来だろう。もしそうなったら電子カルチャーの日本として誇りにするべきものだとも思う。しかし、あらゆるソリューションを新しい技術のみに求めてしまう傾向がなぜこんなに強いのか。情報デザインやコミュニケーションデザインからの提案を社会にしっかりとメッセージしていかなければ、技術だけを安易に適応したいびつな明日の社会が待っている。